「トルコが非常に親日国」
というのは結構有名なことで、私も現地で確認しましたが、本当です。
「メルハバー(こんにちは)」
「メルハバー。」
「どこからきたんだ?」
「日本」
「おー、日本か!日本、日本。」(満足げな表情)
「はい、そうです。」
「日本人は友達だ。いい友達だ。」
こんな感じのやりとりを4回くらいは経験しているので、確かだとおもいます。
じいちゃんからコンビニの店員まで、結構似たようなな反応です。
だから、日本人はもっとトルコ旅行してあげてほしい。
だって今回旅行した中でほとんど日本人いなかったんだもん。韓国人ばっかり。
もっとトルコでお金を落としてあげてほしい。
まあ、それはいんだけど、私が思うにこの「トルコは親日」という現象ですが単純に喜ばしいことではないとおもうんですね。というのも、この現象はトルコの教育水準の低さまたは民主主義の未成熟の裏返しだと思うんです。
ここからはトルコ語のわからない私が、現地で抱いた印象でしかないことを先に言っておきます。
↑「オジーオズボーン イスタンブールに上陸!」のポスターと「徴兵制賛成!」ポスター。
街頭の選挙ポスター、または歴史博物館の展示物をみておもったのですが、なんか一面的な表現が多くてその裏に葛藤や微妙なニュアンスがない感じがしました。
選挙については知り合ったトルコ人に教えてもらったのですが、いまトルコでは選挙が徴兵制の継続を大争点にしてたいへん白熱しているんだそうです。彼は「選挙の結果より、こういう内容が投票によって国民の選択で変えていけるようになったことがもっと重要なことなんだ。」といってました。
↑徴兵制に賛成!のアドバルーン。
両陣営がつくった上みたいな広告(プロパガンダ)が街中にあるんです。
もう「徴兵制」という言葉すら、そこからは省略されていて
「 EVET!! 」(賛成!)
「 HAIER!! 」(反対!)
それだけが書いたポスターがあちこちにあるんです。
そして徴兵制以外の政治課題は影も形もありません。
加えて、徴兵制はなぜ必要なのかとか、安全保障がどうのとか、ナショナリズムがどうのとか、経済的な側面が云々とか、とかそういう「賛成」「反対」の前にある言説も、これらポスターには全然ない。
(書いてあるバージョンもあるのでしょうが、滞在中は私は見ていません。)
アンビバレンスがないんです。ちっとも。
そういうアンビバレンスの欠如、または「なぜ親日?」に対する理由の喪失が親日現象にも見られます。
だって、100年前の日露戦争のことやもっと前の
エルトゥールル号遭難事件のことで、いまだにこんなに親日なんて、おかしいでしょ?
古色蒼然とした日本観で思考停止が発生したままになっている気がします。
反共教育がずっと続いてもいたでしょうし。
いまは8年に延びましたが、ずっとトルコの義務教育は小学校の5年のみだった時代がながく、そこから上位への進学率は低く識字率も高い国ではなかったということです。
またトルコ共和国は民主主義国といっても、軍の発言力が極めて強く政権の命運が選挙でなく軍の意向で左右されることがしばしばであったといいます。
実際のところ「トルコ共和国」の民主化はまだひよこの段階なのかもしれない。
だから、この親日という現象に私はアンビバレントな思いがあります。
↑「共和国記念碑」 下は軍事博物館でみた「トルコ建国の父」ことムスタファ・ケマルを称える絵画。
勝手な印象論でここまで語ってしまったのですが、クルディスタン他の問題含めて、まだまだトルコという国について日本人の理解も不足しているのでしょう。