2010年9月12日日曜日

イスタンブル

送信者 2010.9 トルコのたび(web)


最終日は前日2時までビールを飲んでいたのに朝6時に目が覚めてしまった。濃いチャイを飲んだのが原因?
原因はともかく、体はフラフラ。

9月10日、今日から本格的にイスタンブルはラマダン明けの祝日(イド・アル・フィトリ)
なかなかイメージが伝えづらいのだけども、感覚としては正月休みがちかいのかな。
特製のお菓子を家で食べて、街にくりだしてまた派手に飲み食い。

ラマダン中の昼は一般的な飲食店はがらーんとしてたし電車も空いてたのに、
この日のイスタンブルは狂乱のような混雑。
おもしろいけど体にこたえる!

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↑この地下道はやばかった。混みすぎて50m進むのに10分くらいかかるかなり危険な状態。



街を歩いていて思った。
「まるでバベルの塔が倒れたみたいだ。」
バベルの塔が倒れて散り散りになった人々をもういちど集めなおしたようだ、と言ったほうがいいでしょうか。
ギリシャ人の植民地から始まってローマ帝国の首都になり、チュルク系遊牧民に征服されて次は多民族国家オスマン朝の首都になったイスタンブルは、そんな歴史によって遺伝的にも言語的にも混じりあいごった煮住民の街になったんですよね。
ひとくちに西洋系の顔立ちとか、髪は何色とか言えない。
しかも観光客もむちゃくちゃいっぱいいるじゃないですか。
だから食堂やカフェの中はテーブルごとにちがう言語でしゃべってるんですよ。

宿にもどれば英語と日本語とほんのちょっとトルコ語と中国語、疲れもあって頭の中ぐちゃぐちゃ。何語もボキャブラリーが全然でてこない。

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まあ疲れていようがいまいが、イスタンブルにいられるのは2日だけ。
楽しい事があれば疲れてても関係ない。
とにかく歩き倒しましたです。


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考古学博物館もみたし

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礼拝もみた
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朝早くおきたおかげでブルーモスクを独り占めできたし
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イェニチェリに会えたりもした

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二日というのはあまりにも短いし、もっとトルコ語を覚えてしゃべりたかった。
トルコ人としゃべるのはすっごく楽しい。
道をあるけば、写真をせがまれる。とくに子供に。


最初は楽しくて撮りまくっていたけど、一日やってるとちょっと飽きちゃった。
しかも最後にこんな写真撮らされる。


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(ここはイスラム教の国じゃなかったんだっけ?)









まあ贅沢といえば贅沢。
金はかけていないけど、贅沢な体験ばかり。
トラブル(ギリシャ人詐欺師に遭遇)もありましたがそれも含めて最高におもしろかった。

全力疾走だったとおもいます。


大量の写真・動画や初めて知った事(イスラム教のことやトルコの歴史のことetc..)など整理したいことが今は積みあがっています。あとfacebookのアカウントを作れと旅人にいわれましたね。やっぱあちゃらはfacebookのアカウントもってるのは当たり前らしい。

ケバブ屋のオヤジにすら、アカウントのメモを渡されたよ!!


イスタンブルでの二日も機内でもあまり寝てないし京都に戻ってもあまり寝なかったので日本の夏(湿度)がずっしりと体にこたえていますが、まあなんとか社会生活に復帰するよう踏ん張りたいとおもいます。
本当は一休みしたらまたすぐにイスタンブルに戻りたいくらいですがねぇ・・・。

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