2012年3月19日月曜日

大槌臨学舎のウェブアルバムです https://picasaweb.google.com/114312426516045509719/201102?authuser=0&authkey=Gv1sRgCJmsktqGq72gBw&feat=directlink

岩手放送取材の放送

2012年3月11日日曜日

3月11日、まだ大槌にいます


お久しぶりです。

前回からまた日が開いてしまいました。
2月上旬から岩手県大槌町の学習支援ボランティアに参加して、2週間いたあと札幌に一度もどったのですが、2月28日に大槌に帰ってきてそのまま今日3月11日をむかえました。

もともとは正直学習支援のボランティア、というかボランティアそのものもあんまり興味はなかったんですが、来てみたらそこそこやりがいがでてしまって、ずるずると活動継続しております。

指導対象は中学三年で、腕白でうんざりすることもありましたが、なんとか一昨日高校受験を終えています。


大槌の子はまったく純朴なもので、ピアス茶髪は皆無、というか私服が基本的に学校の体育ジャージという田舎っぷりです。
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近くの神社で給食をだしています。

高校受験とはいっても、指導した内容はほんとうに基礎的なことばかりで都会の学校からすればはるかに遅れていました。受験直前になって連立方程式の解き方を覚えたり、47都道府県の県名をおぼえたりする子がいるくらいです。
「こんな状態でいいのか」と思いますが、「こんなところがあってもいいか」とも思います。



この先かれらはどんなふうに生きていくのか。おそらく多難なものだとおもいますが、せっかく津波を生き延びた命なので大事にしてもらえればと思います。


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大槌は他の市町村と比べても非常に復興がおくれています。
津波で流された町役場のかわりに、火災で燃えた小学校(写真奥の建物です。)を復旧した上で移転することになっていますが、その工事もまだまだ終わっていません。


津波のきた状況をきいていると、津波の危険性はわかっているはずなのに「ここまではこないだろう」と避難をせずにそのまま波にさらわれたり火災に巻き込まれた人々が多かったことに驚かされます。

「逃げるように説得したのに「いや家が気になる」と下にむかったまま帰らなかった人の顔がちらついて寝られない」
と話していた人にも会いました。

明治の津波の記憶が風化したり、防潮設備への過信があったことで助かるはずの命がたくさんなくなったことも現地にきて改めて認識しました。

テレビやネットをみているだけでは実感できないことがたくさんあります。

今日3月11日の重みも大槌にきてずっと増しました。


色々忙しい生活ですが、今日は慰霊の気持ちを大事にしたいとおもいます。

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